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保育園の園舎建築の設計専門家・ちびっこ計画の日々

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カテゴリ:●日々の雑感( 9 )

日々の雑感:2つ目の道具

 平成26年度の保育士試験に合格して、私はペーパー保育士になった。「ペーパー」というのは、実務経験がなくても受験資格が与えられるし、保育実習も課されないという試験制度なので、勝手にそう呼んでいるのだが、私のような畑違いでも資格を得ることができる。子を預ける立場からすれば、いささか心許ない気もするが、そういう試験制度なのである。
 保育士不足で試験は簡単になった、という声を耳にするが、筆記10科目に実技2科目という広範囲な試験であり、やはり手強い。命を、保ち育てる仕事なのだから手強くて当然なのだが、受験者はたいへんである。苦節5年といえば聞こえはよいが、私のあまりにも乏しい知識では歯が立たず、長い時間を要してしまったというのが正直なところだ。
 たとえば筆記試験の「養護原理」は、日常の仕事とは全く接点がなく、門外漢の私には文章の意味すら理解できず、まさにちんぷんかんぷんであって、結局最後の年まで残ってしまった。「小児栄養」は糖や脂質など、日ごろ口酸っぱく言われている、耳の痛いほど聞きなれている単語が目白押しだったのを幸い、わが身に照らし合わせて何とかクリアした。「保育実習理論」は音楽からの出題が多く、若いころ吹奏楽で培った楽典の知識を掘り起こしてかろうじてパスした。私はトロンボーンをやっていたのだが、静まり返った試験会場で、どたばたと右腕を動かし、トロンボーンの吹き真似をしながら、和音の問題を解いている様子は、さぞ異様に映ったであろう。「保育原理」は、日常の仕事に近い部分もあり、それをできるだけ取りこぼさずに死守し、ギリギリの線で滑り込んだ。
 ほとんどの科目を綱渡りで乗り越えたあとは、恐怖の実技試験である。これは、「音楽(弾き語り)」、「言語(読み聞かせ)」、「絵画(即興制作)」の中から2科目を選択するというものである。私は深く考えず、「音楽」と「言語」を選んだのだが、なぜ「絵画」を選ばないかと、受験生仲間のTさんに指摘された。Tさんは建築士は絵がうまいものだと考えている様子なのである。しかし、これは誤解である。建築士は画家ではないので、図面は引くが、絵は描かない。描いたとしてもヘタウマな、もじゃ絵なのである。私は、当日にならないとお題が発表されないという、対策の立てようがない科目を敬遠した。
 「音楽」は、ピアノ又はアコーディオン又はギターで、2曲を弾き語りせよというもので、今年の課題曲は「おつかいありさん」と「おへそ」である。私はトロンボーンをやっていたが、弦楽器などという上品な楽器は、引いたことはあれど、弾いたことなどない。だいたいピアノは、楽譜が上下二段に分かれていて、さらに上はト音記号で下はヘ音記号で記譜されているのを瞬間的に読み、それ以前に左右の手が別の鍵盤を叩くなど、超人にしかできるはずはないと考え、やめた。
 一方アコーディオンは、ややこしいのは片手だけだけで、もう片方はプシュプシュしておればいいのでは、という感じがしたので少し気持ちが揺らいだが、楽器の入手が困難と考え、やはりやめた。
 消去法で残ったのがギターであったが、これがいけなかった。早速Tさんから指摘が入り、そのような短い指で弦が押さえられるはずがないと言われた。鋭い指摘は的を射ていた。さらに悪いことに、私の指は短い割に径が太く、遠い弦に届かないだけでなく、1本を押さえているつもりが隣接する弦も押さえてしまっているという、致命的な状態であることに気付いた。窮地に陥った私は、一計を案じた。セロテープで指をぐるぐる巻きにして指の径を小さくすればよいではないか。しかし、この案は、鬱血した指がセロテープの張力もあってうまく動かせず失敗した。腹のダイエットも滞っている状況では、指のダイエットを試験日までに行うことが不可能なのは、火を見るより明らかである。
 行き詰った私は、得意の開き直りモードを満開にして、ついに課題曲のコード変更に着手した。指がもつれそうなコードを極力排除し、『サルでもわかるギター教本』の初歩のコードにすべて置き換えるのである。
 これはずるい。かなりずるい。ずるいとはわかっているが、指がもつれてしまっては日常の業務に障るので、断腸の思いで実行した。それからというもの、皆が帰宅した後の事務所で、毎夜ギターを掻き鳴らしながら、「おつかいありさん」と「おへそ」を熱唱する毎日が続いた。その特訓の成果か、はたまたやさしい試験官が怪しげなコード進行を聞き流してくれたのか、ボーダーラインすれすれで合格をいただいた。
 読み聞かせの「言語」の試験では、私は「うさぎとかめ」を選んだ。褒められているのか、貶されているのかよくわからないが、「かめ」にぴったりという評価を受けた私の声色が良かったのか、こちらも紙一重で合格を頂いた。
 
 
 受験勉強で得た知識が本業で役立てばと思い、始めた保育士試験の勉強であったが、ついに合格してしまった。しかし、時間の経過とともになくなった左指の「ギターだこ」のように、試験勉強で得た生半可な知識など瞬く間に消え去っていくだろう。一級建築士の免許を手にした時も同じことを感じたが、内実の伴わない資格など単なる紙切れに過ぎない。その免許証にふさわしい技術をいかに身につけていくのか、ここからがスタートだと思う。
 これからも、保育士の先生方のお声に耳を傾けながら設計いていくというスタイルは変わらない。こどもたちの最善の利益を追い求めることにも変わりはない。
 変わったことと言えば、「建築士」と「保育士」という複数の視点を持つ技術者として、先達の少ない領域に新たな道を拓く、2つ目の道具を頂いたということである。その道具をどのように使い、そして、どのような仕事をしていくべきか、考えていかなければいけない。

(大塚謙太郎)


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保育園、保育所の設計専門
ちびっこ計画 / 大塚謙太郎一級建築士事務所
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by chibicco-plan | 2015-02-04 21:50 | ●日々の雑感

日々の雑感:保育園は迷惑か

 ある児童公園の隣に住む高齢者が、公園で遊ぶこどもたちの声が喧しいと、市役所に再三にわたって訴えたところ、役所は「声を出して遊ばないように」との立札を建てた。やがてその場所では誰も遊ばなくなった。公園で黙って遊べというのは、かなり無理な注文である。喋らずに電話しろと言うのに近い。
 ある保育学の大家が、その高齢者にインタビューしたところ、「昔はこどもの声は気にならなかった。」そうで、その理由は、「誰が遊んでいるかが声でわかったから」だという。ここに大きなヒントがある。
 声の主が誰であるのかがわかれば、こどもの声は騒音ではなくなるのだ。大きな声ではあるのかもしれないが、声の主を想像して孫を思いやるような気持ちになれるのだという。先日開催された、こども環境学会東京大会のシンポジウムで耳にした話である。

 こういった苦情の話は、保育園を設計すれば必ずついてまわるので、私たちはそれを予測して設計する。臭いが気になりそうな場合は、調理室の排気の位置はできるだけ園庭側や屋上へ持っていき、それができない場合は消臭装置を取り付ける。音が気になりそうな部分には、防音サッシを取り付ける。近隣のプライバシーが気にりそうな場合は、目線を外して窓をあける。路上駐車対策で、時には保育面積を犠牲にして駐車場や駐輪場を確保することもある。
 先日竣工した保育園では、建物の配置をロの字型にして中央に中庭型の園庭を配し、あらゆるものを中庭に向けた。園舎が園庭を囲んでいるので、臭気や声、砂埃等も敷地外へは漏れにくい構造である。そして屋外遊戯場をギリギリまで切り詰めて、駐車場を確保した。ここまでやっても不十分だと言われるのが、こどもたちが置かれている現状なのである。とても悲しい事実だが、多くの場所においてこどもたちは歓迎されていない。
 前述の高齢者が、常軌を逸しているのは明らかなのだが、それを言っても解決にはならない。
 私たち設計者ができるのはハードだけである。そして不十分なハードを補うのはやはりソフトである。餅つきに近隣住民を招待したり、週末に近隣の高齢者を招いて給食会を開いたり、園で作った焼き芋を配ったりと、多くの保育園が、それぞれのやり方で丁寧な近隣への気配りを行っておられる。

 保育園と近隣との濃密なコミュニケーションが、やはり一番の近道ということか。

(大塚謙太郎)
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by chibicco-plan | 2013-05-14 01:11 | ●日々の雑感

日々の雑感:箱木千年家

 あまりにも古いので、本当に1000年経っているかどうかはわからないらしい。応永年間にはすでに存在したらしく、築600年は下らないというところか。現存する日本最古の住宅である。30年で住宅を建てかえてしまう現代の感覚からすれば、1000年も600年も、ものすごく古いということに変わりはない。
 茅葺屋根のこじんまりした建物で、高さ1.6mほどしかない軒をくぐって中に入ってみれば、柱には煤が厚く付着しており、ぬめぬめとした黒光りを放っている。大黒柱はなく、同じ寸法の柱が整然と並んでいる。大黒柱という風習が定着する以前の建築なのである。未だ縦引きの鋸(のこぎり)が無かった時代の建築であるから、床板は鐇(ちょうな)斫りの板である。当時の一般的な住居は、土間の上に蓆を敷いて生活する土座であったはずだから、一見粗末に見えるこの住宅も当時は高級住宅だったに違いない。
 土間があり、おくどさんがあり、縁側があり、障子があり、光があり、そしてやさしい闇がある。口で言うほど簡単にはいかないことは理解しているつもりだが、こんなつくりの保育園ができれば、こどもたちはより豊かな生活が送れるだろうと思う。保育園は施設ではなく、一日の大半を過ごす住まいであるのだから。日本では戦後長らく、幼稚園と同じような豆腐型の建物に調理室をくっつけたものが保育園とされてきた。そして、時間とともにそれが当たり前となってしまった。時代と制度が許さなかったとはいえ、生活の場であるはずの保育園がそれで正しいはずがない。

 帰り際に買い求めた絵葉書には「題字 49代 箱木勇」とある。この建築は、長きにわたって脈々と受け継がれてきた、箱木家の歴史そのもののようでもある。
 この住宅の所在地は神戸市北区山田町の衝原ダム湖のほとりで、正式名称は『重要文化財箱木家住宅』というらしいが、『千年家』といったほうが通りがよい。自動車で三宮方面から新神戸トンネルを抜ければあっという間に到着することができる。やさしい闇を感じていただきたい。

(大塚謙太郎)
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by chibicco-plan | 2013-05-07 22:58 | ●日々の雑感

日々の雑感:変わらないもの

 先日、仕事の都合で斑鳩方面へ出かけた折、法隆寺に立ち寄り、遠足の中学生にまじって久しぶりに参詣した。言うまでもない世界最古の木造建築群である。推古天皇の世に聖徳太子の発願で建立されて以来、1400年の月日が流れた。「五重塔」や「夢殿」も素晴らしいが、私は西院伽藍の「廻廊」が大好きである。シルクロードを通じてギリシアより伝わったとされる中央部にふくらみを持たせた「エンタシス」の列柱と、大きな連子窓が、抱擁感と開放感との間で絶妙なバランスを保っている。突然話が変わるが、私は抱き枕が好きである。そのせいもあってか、丸太の柱も好きで、見るとつい抱きついてしまう。中学生がバスガイドのお姉さんの話を聞いている隙に、こっそり抱きついてきた。
 木と土でできた建物を、高温多湿の風土で1400年もの間まもり続けてきた日本人の心に、ただ感嘆する。身太い柱は、良く見ると根元などに「接ぎ木」のあとがあまた見受けられる。傷んだ部分をその都度切り取って、新しい材料に入れ替えているのである。スクラップアンドビルドを否定するためにメンテナンスフリーを考えだした現代の思想では、とても真似のできない所作である。法隆寺は1400年ものあいだ、それぞれの時代の人たちの手によって守られ、その美しい姿を変えることなく存在し続けてきた。
 このところ、木造の保育所を設計させていただく機会が増えてきた。国が、木造の公共建築を推進しているという事情もある。木造は、鉄筋コンクリート造や鉄骨造に比べ、傷みやすいことは否定できない。しかし法隆寺を見ればわかるように、適切なメンテナンスを施せば、1400年とはいかないが寿命を延ばすことができる。
 私が法隆寺を訪れたのはこれで3度目である。1度目はやはり中学校の遠足で、2度目は建築学生時代の仲間とだった。たとえば、小説が読む時期々々で印象が変わるように、建築もまた同じである。それ自身が何も変わらないからこそ、変わっていく自分に違った言葉を投げかけてくれる。
 変わらないものを大切にしていきたい。
(大塚謙太郎)
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by chibicco-plan | 2013-03-04 09:47 | ●日々の雑感

日々の雑感:中学2年生

 先日、ある公立中学校の「キャリア学習」という講座で1時間喋ってくれないかという依頼があった。たまたまその日の予定が空いていたので受けさせていただいたが、受けてから中学2年生にどのような話をすればいいのか、と考えこんでしまった。
 乳幼児には、仕事で毎日のように会っているので慣れている。二十歳前後の若者には専門学校で非常勤講師をさせて頂いているので問題ない。しかし、中学生とは自分が卒業して以来接触がないのだ。
 講座の内容をきけば、テレビ屋・調理屋・機械屋・服屋・ゲーム屋などありとあらゆる職業人が、生徒たちの将来展望をひらくため講座を行う中で、私は設計屋の代表として参加することになるらしい。私は保育園屋で一般の設計屋とは違うというと、それでいいとのことだ。事は重大である。つまらない話をして、子どもたちの夢を砕いてはならぬ。
 少し話が逸れるが、専門学校で教鞭をとっていて痛切に感じることがある。ほとんどの学生の、将来の夢や希望、生きる目的が希薄だということだ。
 社会科が大好きだった私の高校時代の将来の夢は、「高校地歴」の教員であった。だから大学は文学部史学科を選んだ。だが、大学に入って史学研究室に行く前に、吹奏楽部の部室に連れ込まれてしまったのが運の尽きだった。それから4年間、部活と食事の合間に授業に出るという愚かな生活を送り、ついに教職の単位を落とした。だが自分としては、堕落した生活を送ったとは全く思っていないどころか、とても充実していた。部活では部長として100人を束ねて関西大会出場を目標に掲げ、文字通り口から血のにじむほどの練習を重ねた。敗れはしたが、私の卒業の2年後、後輩たちが関西大会の舞台に立った。 
 また食事においては、いかに安価に満腹になれるかを追求し、牛丼の吉野家で、並盛つゆだくと白飯という組み合わせが特盛より安く、大盛りより満腹になることをつきとめたのもその頃である。大学での4年間は、勉学以外は非常に充実した時間を過ごしたし、それが私の生きる目的そのものだった。一つのことを追求することの苦しみや喜びを知り得たその時間が、私自身の基盤を作り上げたのだと思っている。その後、なぜ私が保育園の設計を専門とするようになったのかは、またの機会に譲るとして、一つのことを追求する姿勢を体得することが夢を持つことにつながるのは間違いなかろうと思う。
 中学2年生で、「針路」を定めろというのも少し酷なような気がするが、高専や工業高校などを目指す生徒もいることを考えれば、時期尚早だとは言いきれまい。私の仕事を紹介させていただくことで、自分の夢や生きる目的を持つ機会にしてもらうというのが、今の私にできることだろうか。
 獏は夢を食って生きているらしいが、人もまたそうだと思うことがある。夢の生産能力というのは、年を経れば退化していくものであるから、如何に早い時期に密度濃く日持ちのする夢をつくるかで、その後の人生は変わってくるのだろうと思う。言わば夢の貯金である。貯夢である。夢のない若者ほど見ていてつらいものはない。金を貯めるのは年を経てからでもできる。若者には夢こそをたくさん貯めてほしいと願う。
 
 夢を語りに行こう。

(大塚謙太郎)


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by chibicco-plan | 2013-01-24 01:19 | ●日々の雑感

日々の雑感:重要でない文化財

 役行者が開いたとされる、生駒山宝山寺。修験道の霊気が立ちこめるこの聖地に、突如として姿を現す擬洋風の客殿がある。明治17年に宮大工の手によって造られた、重要文化財『獅子閣』である。世にも珍しい史学科出身の建築士である私が、その薀蓄をたれるかと思いきや、そうではない。この『獅子閣』の裏手に、「こっそり」佇むあずまやがあるのをご存知だろうか。薄く、小さく、繊細に、存在感を抑え、庭木の間でかくれんぼをしているような愛らしい小建築だ。「ひっそり」ではなく「こっそり」なのである。
 とてもカワイイその屋根は、吹けば飛びそうな軽快さで、さらにカワイイその丸太柱は、華奢な体でがんばって屋根を支えている。そしてこの上もなくカワイイその軒は、限りなく低く、大人では頭を下げないと入ることができない。顔をあげれば、しっとりとしたやさしい闇が、客人を迎え入れてくれる。こんな木々とあずまやが、もし保育所の裏庭にあったら、どれほど素晴らしいだろう。
 私は、子どもたちの暮らす建物は小さくあるべきだと、常々思っている。こどもは狭いところが好きだとよく言われるが、体が小さいのだから、当たり前の話なのである。ついこないだまで、母のおなかにまるまっていたわけで、狭いところが好きというよりも、大人スケールの空間が大きすぎるのだろう。くつも、ぼうしも、かばんも、いすもちっちゃいのに、部屋だけが大人サイズというのは、どう考えてもおかしい。
 そんなことを、ぼんやりと思いながら寺を辞した。帰り道、管理人さんとすれ違ったが、この粋なあづまやが、指定文化財であるかどうかは尋ねなかった。これが重要であろうがなかろうが、文化財であろうがなかろうが、いいものはいい。

 小さくあること。

 大が小を兼ねることができない保育所建築において、私たちがしっかりと考えていくべき大きな課題である。

(大塚謙太郎)

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by chibicco-plan | 2012-10-01 15:38 | ●日々の雑感

日々の雑感:プラッチックトロンボーン

 私のトロンボーン歴は26年で、実は建築歴より長い。ここ2年ほど、忙しさに感けて御無沙汰しているところに先日発見したのは、なんとオールプラッチック製のトロンボーン。その充実のカラーラインナップは、きんぴかの真鍮製高級トロンボーンたちの間でひときわ鮮やかな、赤・青・黄・緑の4色。スライドやウォーターキーはシックなブラックである。ボアはだいたい細管で、調子はかろうじてB♭。ベルは、カラーガードに殴られようが、野球応援で硬球があたろうがへこみそうもない頑強な肉厚樹脂二枚取りだ。ぺらぺらの肩紐付きソフトケースに、リムに平らな面がほとんどない透明超軽量マウスピース、楽器に貼付済で剥がすとねばねばが残るMade in china文字入り大型シールなどの充実の付属品がついて、お値段は高いのか安いのかよくわからない13,800円である。
 本来なら高級楽器を買い求める客が使うであろう試奏室を占拠し、とりあえずチューニングB♭をひと吹き。・・・!。驚くなかれ、かなりイイ音がする。ひょっとして自分が上手になったのかと思ったが、2年もさぼっていてそんなはずはない。A4サイズ片面1枚のみの取扱説明書をよく見れば、発売元はノナカ貿易とある。ノナカの自信作であれば、これは買いであろう。

 それ以来、少年パズーがごとく、朝一曲吹いてから(但しpppで、2歳の娘にむかって「おかあさんといっしょ」の歯磨きの歌)、仕事に出かける毎日である。私は黄色を購入した。残る3色をどなたかにお買い求めいただいて、プラトロ四重奏団を結成し、全国保育所ツアーをするのが目下の夢である。どなたか、ご参加いただける奇特な方はいらっしゃらないだろうか。
(大塚謙太郎)

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by chibicco-plan | 2012-07-19 23:08 | ●日々の雑感

日々の雑感:だまし絵

 私は、エッシャーのだまし絵が好きだ。
下の絵は、1961年に発表された『Waterfall(滝)』というリトグラフ作品で、大好きなもののひとつだ。
流れ落ちた滝の水は、滝壺から水路を昇って、再び滝となって流れ落ちる。
水路に建つ4本の柱たちは、水路を支えているのか、どうなっているのか。水路は水平なのか、傾いているのか。分けがわからない。
三次元では有り得ない世界が、さも自然に成立しているように表現されている。
正直言って眩暈を覚え、3秒以上直視できず、適切な解説をすることができない。やりすぎである。建築技術者を愚弄するにも程があるであろう。

 私は子どもの頃、この絵を見て眩暈を覚え、見てはいけないものを見たような気になり、吐き気まで催し、ついにダウンしてしまったことがある。
素晴らしい芸術を前にして「吐き気」とは何かという向きもあろうが、この絵はそれほど幼い私の心と胃を揺さぶったのである。
今もこの文章を書きながら、目がまわっているので、なかなか筆が進まない。
エッシャーの絵は、いい気分にさせてくれるどころか、私などはむしろ体調を損ねるのだが、カチカチに固まった心を強い力で揺り解いてくれるのだ。
それは一種の感動に違いなく、私はそんな「へんな」芸術が大好きなのである。

 来月、滋賀県守山市の佐川美術館で「M.C.エッシャー展 -変容・無限・迷宮-」が開催される。もし『Waterfall』の前で、口を押さえてよろめいている人を見かけたら、それが私である。
(大塚謙太郎)
 
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by chibicco-plan | 2012-06-30 09:35 | ●日々の雑感

日々の雑感:光る泥だんご

 保育園をお訪ねするとよく見かけるのが、こどもたちの作った「光る泥だんご」である。
もちろん私も持っている。以前にタイルメーカーINAXの常滑研究所で作らせてもらったものだ。
その完全なる球体は、上質の鼻の油と無添加の耳の油でもって長年磨き続けられているので、その滑らかな土肌は深遠なる光沢を湛えている。
我ながら素晴らしい出来ばえである。はっきり言って、保育園のこどもたちのより上手い。

 ところが、先日机の上を片づけていると、大切な「おだんご」を誤って床に落としてしまった。
割れたに違いないと思った。が、ひびひとつ入っていない。

そこで、少し考えた。

いくら私の腕がイイと言っても、いくら球体が構造耐力上合理的な形態だと言っても、机から落としたら割れるのが普通ではないか。
そう言えば、INAXの美人のお姉さんは、「特別に調合した土」だと言っていた。さらに「誰にでも簡単に作れますよ」とも言っていたような気がする。

本当の「光る泥団子」を作るのはそんなに簡単ではないはずだ。
誰しも試行錯誤を繰り返し、でこぼこの失敗作を積み重ねながら、理想の「おだんご」ににじりよっていくものではなかったか。

 わたしは、恥じた。

いくら美人のお姉さんにのせられたとはいえ、誰にでも簡単に作れるよう調合された土を使い、たった一回の挑戦で完璧な仕上がりを見せるよう計算された工程で作った「おだんご」と、
こどもたちのたゆまぬ努力の結晶たる「おだんご」を比べたとき、本当に光っている「おだんご」はどちらなのか、火を見るより明らかではないか。

 私は、こどもたちの生活の場である保育園の設計において、内容の伴う「本物」というものを、あらためて大切にしようと、その時思った。
(大塚謙太郎)
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by chibicco-plan | 2012-06-20 09:36 | ●日々の雑感