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保育園の園舎建築の設計専門家・ちびっこ計画の日々

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連載第7回執筆しました1

「建築とまちづくり」誌に連載中の、
『設計者からみた子どもたちの豊かな空間づくり』で、
代表の大塚が第7回(1月号)の執筆を担当させていただきました。

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『設計者からみた子どもたちの豊かな空間づくり』第7回(1月号)より
『保育所に「本物」を使うということ』


■「本物」は敬遠される
 『公共建築物等における木材利用の促進に関する法律』が施行され、保育所の木質化が盛んに行われるようになってきました。法制化が遅すぎたという感はありますが、好ましいことだと思います。ただ私は、設計や建築というものを、子どもたちが生活し、育っていくための場を作る手段だと考えていて、「木」を使うこと自体が目的になってしまっているような考え方には疑問を感じます。
 私は保育所の設計にあたって、できるだけ木をはじめとする「本物」を使いたいと考えています。「本物」と言えばいろいろとあります。石もそうですし、漆喰も、煉瓦も、コルクも、瓦も、竹も、そして木も「本物」です。私が、ここで「本物」でないというのは、煉瓦調ビニルクロスとか、木目調ポリ合板とか、そういう類のものです。残念なことは、「本物」の材料の物性が、ほとんど人工材料に劣るという事実です。
 木質化された空間は、あたたかみがあってよいといいますが、もし、木目柄の長尺シートの床と、木目柄のビニルクロスの壁と、木目柄のメラミン合板の家具で構成されていたとしても、現場の先生方が、同じようにおっしゃることがよくあります。その「あたたかみ」なるものが、「本物」でなくても成立しているとすれば、大切なことは見えがかりではないのです。
 保育所では、木は本物の代表格であると同時に敬遠される材料の代表格でもあります。裸足保育をする保育所が多くありますから、床に木を使うと足の裏に削げが刺さります。屋外デッキなどで目地をとれば、足の指がはまって爪がはがれます。壁に羽目板を貼れば、節に手の指を突っ込んで怪我をします。丸太柱を立てれば背割りに手を突っ込んで抜けなくなります。木はメンテナンスがしにくいし、掃除も大変です。家具を引き摺れば木の床は傷だらけになりますし、物を当てれば木の壁はへこみます。しみ込んだ落書きは取れませんし、こぼした味噌汁の染みは幾重にも重なって、ランチルームの床を彩るわけです。
 これらが保育所で木が敬遠される理由です。木以外の「本物」でも同じです。障子紙は破れる可能性がありますし、畳は引っ掻けば毛羽立ち、コルクは退色します。「本物」には、必ずリスクが付きまといます。

■「本物」を使う理由
 なぜ、それでも「本物」にこだわるかというと、大人として、そして子の親として、子どもたちが「本物」を知る前に偽物やまがい物を見せたくないと考えるからです。そしてもうひとつ、「本物」につきまとうリスクの裏には、子どもたちの成長の機会が隠れているからです。
 例えば、かくれがコーナーに障子を使ったS保育園の先生におたずねすると、「障子紙は案外破りません。子どもたちは、たとえそれが1歳児であっても、硬いものと柔らかいものとでは触れ方が違います。初めは破れないか心配でしたが、今では障子紙を使ってよかったと思っています」とおっしゃいます。子どもたちは自分の体に触れた感触で物を理解していくということがよくわかります。
 壁や天井の板張りにある節が、お化けの目に見えてきて怖くてお昼寝ができないという子どももいました。素晴らしい想像力です。これはビニルクロスや化粧石膏ボードではありえません。
 板貼りの床でけがをする子どもは、あらかじめ予測ができることもわかってきました。節や削げが悪いというよりは歩き方の問題なのです。歩き始めの子どもたちは、爪先立ちで歩いたり、すり足で歩いたり、ユニークな癖を持っていることがあります。廊下など、ある程度歩行方向が限定される場所であれば、繊維方向をそれと直行させることで、けがを減らすことができます。つるつるのビニルシートの床であれば、なかなかその癖はとれないかもしれません。怪我ひとつで子どもは成長しますから、私はやみくもにけがの原因を排除することには賛成しません。むしろ、上手に怪我をさせてやりたいと考えています。大けがをすることなく小さな怪我をさせてやれる木は、育ちの材料と言えます。
 ちょっと贔屓目に言うと、木材は多様性の理解にもつながるのではないかと考えています。例えば、皮むき丸太を柱に使えば、太さも木肌も節の数も割れの様子もすべて一様ではありません。丸太の柱をたくさん使ったN保育園の先生におたずねすると、どうやら、子どもたちには、それぞれにお気に入りの柱があるらしいのです。人工素材と違って、個の存在自体で多様性を持ち得るのは、自然材料の最大の特徴だといえます。子どもたちは、何も言わずともそれを察知して、生活の一部として自然に多様性を理解していきます。多くの住まいが均質化している中で、少なくとも昼間の住まいである保育所は、そうさせたくないと思います。

■さぼるな大人!
 使いやすくメンテナンス性の良いまがい物が評価され、木をはじめとする「本物」は、保育の現場であまり良い評価は得られません。どうも人間は、生きることをさぼっている。このままでは、人間そのものが偽物になっていくような気がします。誤解がないようにしたいのですが、保育士の先生方がさぼっているということではなく、すべての大人たちがさぼっているということです。
 保育士の労働環境や労働条件は、他の福祉の仕事と違わず非常に厳しいものです。制度の問題もあります。保育士の定数は、0歳なら3人に対し1人、5歳なら30人に対し1人となっています。私などは、わが子1人を育てるのに四苦八苦の毎日です。30人を1人で育てるというのは想像もつかない。
 この状況で本物を使うのは、確かに簡単なことではないのです。しかし、「本物」を排除するということは、子どもたちから成長の機会のいくつかを奪っていることにほかなりません。大人に対しては嘘も方便です。でも、子どもたちに対しては、できるだけ嘘をついてはいけない。なぜ「できるだけ」なのかは後述します。だいたい、嘘にまみれた空間で、どうやって子どもたちに嘘はいけないと教えることができますか。子どもたちに対する大人の責任として、考えなければいけない。建築技術者である前に、子どもたちの手本となる大人であることを再認識したいと思うのです。
 それには十分な打ち合わせが必要です。それを怠れば、「あいつらは描きっぱなしだ」と設計者は批判を浴びますし、施工者は、クレーム対応に走りまわらなければならない。親からの心無いクレームもあるでしょう。また、お部屋を美しく保ちたいという気持ちが強い保育所さんでは、せっかくきれいにできあがった部屋を汚してはいけないと、自然に子どもたちの行動を制約するような保育になり、子どもたちが窮屈な生活を強いられるケースも案外多いのです。これでは本末転倒です。
 「本物」を使う場合は、保育所の先生方との設計打合せで、保育の上でどこまでを許容するのか十分な議論が必要です。保育は、器だけで成立するものでも、保育士の先生方だけで成立するものでもありません。ハードとソフトの総合点で、保育の質が決まるのです。だから、さまざまな事情で許容が難しい場合は、すぐに提案を取り下げます。ハードの点数が劣っても、ソフトで盛り返してもらえれば総合点としては高くなるだろうと考えるからです。ここが前述の「できるだけ」の理由です。
 だから、一方的に本物を使わなければだめだと考えているわけではありません。保育現場の状況を考えずに、本物をお勧めするのは設計者のエゴイズムに他ならず、押し付けは確実にマイナス側に働きます。保育に対して「本物」の持てる力を存分に発揮させてやるには、使い手の理解が欠かせません。
 保育所の建築は、園の先生方・保護者・設計者・施工者が手を携えて考えていかなければ、成功しないのです。

▼ちびっこ計画ホームページには、見やすいPDFデータを掲載しておりますのでご覧くださいませ。
新建築家技術者集団 月刊誌「建築とまちづくり」第7回(H26.01)

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保育園、保育所の設計専門
ちびっこ計画 / 大塚謙太郎一級建築士事務所
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by chibicco-plan | 2014-01-09 23:16 | ●保育園について執筆・講演
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