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保育園の園舎建築の設計専門家・ちびっこ計画の日々

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日々の雑感:2つ目の道具

 平成26年度の保育士試験に合格して、私はペーパー保育士になった。「ペーパー」というのは、実務経験がなくても受験資格が与えられるし、保育実習も課されないという試験制度なので、勝手にそう呼んでいるのだが、私のような畑違いでも資格を得ることができる。子を預ける立場からすれば、いささか心許ない気もするが、そういう試験制度なのである。
 保育士不足で試験は簡単になった、という声を耳にするが、筆記10科目に実技2科目という広範囲な試験であり、やはり手強い。命を、保ち育てる仕事なのだから手強くて当然なのだが、受験者はたいへんである。苦節5年といえば聞こえはよいが、私のあまりにも乏しい知識では歯が立たず、長い時間を要してしまったというのが正直なところだ。
 たとえば筆記試験の「養護原理」は、日常の仕事とは全く接点がなく、門外漢の私には文章の意味すら理解できず、まさにちんぷんかんぷんであって、結局最後の年まで残ってしまった。「小児栄養」は糖や脂質など、日ごろ口酸っぱく言われている、耳の痛いほど聞きなれている単語が目白押しだったのを幸い、わが身に照らし合わせて何とかクリアした。「保育実習理論」は音楽からの出題が多く、若いころ吹奏楽で培った楽典の知識を掘り起こしてかろうじてパスした。私はトロンボーンをやっていたのだが、静まり返った試験会場で、どたばたと右腕を動かし、トロンボーンの吹き真似をしながら、和音の問題を解いている様子は、さぞ異様に映ったであろう。「保育原理」は、日常の仕事に近い部分もあり、それをできるだけ取りこぼさずに死守し、ギリギリの線で滑り込んだ。
 ほとんどの科目を綱渡りで乗り越えたあとは、恐怖の実技試験である。これは、「音楽(弾き語り)」、「言語(読み聞かせ)」、「絵画(即興制作)」の中から2科目を選択するというものである。私は深く考えず、「音楽」と「言語」を選んだのだが、なぜ「絵画」を選ばないかと、受験生仲間のTさんに指摘された。Tさんは建築士は絵がうまいものだと考えている様子なのである。しかし、これは誤解である。建築士は画家ではないので、図面は引くが、絵は描かない。描いたとしてもヘタウマな、もじゃ絵なのである。私は、当日にならないとお題が発表されないという、対策の立てようがない科目を敬遠した。
 「音楽」は、ピアノ又はアコーディオン又はギターで、2曲を弾き語りせよというもので、今年の課題曲は「おつかいありさん」と「おへそ」である。私はトロンボーンをやっていたが、弦楽器などという上品な楽器は、引いたことはあれど、弾いたことなどない。だいたいピアノは、楽譜が上下二段に分かれていて、さらに上はト音記号で下はヘ音記号で記譜されているのを瞬間的に読み、それ以前に左右の手が別の鍵盤を叩くなど、超人にしかできるはずはないと考え、やめた。
 一方アコーディオンは、ややこしいのは片手だけだけで、もう片方はプシュプシュしておればいいのでは、という感じがしたので少し気持ちが揺らいだが、楽器の入手が困難と考え、やはりやめた。
 消去法で残ったのがギターであったが、これがいけなかった。早速Tさんから指摘が入り、そのような短い指で弦が押さえられるはずがないと言われた。鋭い指摘は的を射ていた。さらに悪いことに、私の指は短い割に径が太く、遠い弦に届かないだけでなく、1本を押さえているつもりが隣接する弦も押さえてしまっているという、致命的な状態であることに気付いた。窮地に陥った私は、一計を案じた。セロテープで指をぐるぐる巻きにして指の径を小さくすればよいではないか。しかし、この案は、鬱血した指がセロテープの張力もあってうまく動かせず失敗した。腹のダイエットも滞っている状況では、指のダイエットを試験日までに行うことが不可能なのは、火を見るより明らかである。
 行き詰った私は、得意の開き直りモードを満開にして、ついに課題曲のコード変更に着手した。指がもつれそうなコードを極力排除し、『サルでもわかるギター教本』の初歩のコードにすべて置き換えるのである。
 これはずるい。かなりずるい。ずるいとはわかっているが、指がもつれてしまっては日常の業務に障るので、断腸の思いで実行した。それからというもの、皆が帰宅した後の事務所で、毎夜ギターを掻き鳴らしながら、「おつかいありさん」と「おへそ」を熱唱する毎日が続いた。その特訓の成果か、はたまたやさしい試験官が怪しげなコード進行を聞き流してくれたのか、ボーダーラインすれすれで合格をいただいた。
 読み聞かせの「言語」の試験では、私は「うさぎとかめ」を選んだ。褒められているのか、貶されているのかよくわからないが、「かめ」にぴったりという評価を受けた私の声色が良かったのか、こちらも紙一重で合格を頂いた。
 
 
 受験勉強で得た知識が本業で役立てばと思い、始めた保育士試験の勉強であったが、ついに合格してしまった。しかし、時間の経過とともになくなった左指の「ギターだこ」のように、試験勉強で得た生半可な知識など瞬く間に消え去っていくだろう。一級建築士の免許を手にした時も同じことを感じたが、内実の伴わない資格など単なる紙切れに過ぎない。その免許証にふさわしい技術をいかに身につけていくのか、ここからがスタートだと思う。
 これからも、保育士の先生方のお声に耳を傾けながら設計いていくというスタイルは変わらない。こどもたちの最善の利益を追い求めることにも変わりはない。
 変わったことと言えば、「建築士」と「保育士」という複数の視点を持つ技術者として、先達の少ない領域に新たな道を拓く、2つ目の道具を頂いたということである。その道具をどのように使い、そして、どのような仕事をしていくべきか、考えていかなければいけない。

(大塚謙太郎)


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保育園、保育所の設計専門
ちびっこ計画 / 大塚謙太郎一級建築士事務所
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by chibicco-plan | 2015-02-04 21:50 | ●日々の雑感
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