『くじら雲の記憶』 長野県にある「NPO法人 響育の山里 くじら雲」をお訪ねしたことがある。養蚕民家がそのまま認可保育所に転用された事例だ。 庭先にある焚き火コーナーが素晴らしい。かまどを中心にして、園児30人ほどが輪になって座れる一段高くなった環状列石があり、廻りは緩やかな勾配の石段になっている。開放的でいて、かつ包まれたような雰囲気が作り出されるいい空間である。 そこで園長は静かな声でこどもたちに語りかける。「集まれ―」と大声をかけることもなければ、笛を吹き鳴らすこともしない、静かな保育である。ふつうの声音で、ふつうに話す、「当たり前の暮らし」としての保育がそこにあった。
いろいろな保育のやり方があるわけだから、それが絶対によいとはいえないだろうが、保育所保育指針に、入所するこどもたちに「最もふさわしい生活の場でなければならない」と謳われている以上、当たり前の暮らしを現出させる必要があることは間違いないと思う。同時に、その城にまで保育の質を高めさせることは、簡単なことではないとも感じていて、そこに建築が保育をサポートし得る部分があるのではないかと考えている。
保育所の急増で、現場では質・量ともに保育士の確保がままならない状態であると聞く。園児数と保育士数の関係など、児童福祉施設最低基準についての議論も当然必要だろう。保育に欠けるこどもたちのための環境づくりの現実は厳しい。しかし、私たち保育園設計者にはそれらの制度的解決を待っている時間はない。今このときも目の前に、弾力化の名の下に詰め込まれたこどもたちがいるのである。少しでも、「当たり前の暮らし」に近い保育が作り出しやすいよう、我々設計者に与えられた負の物理的条件を、保育をサポートする仕掛けに転化させていくことを考えたい。
くじら雲の焚き火コーナーを見て、私は今までこの段差をなくすために工夫を凝らしてきたが、それを改めようと思った。それからは、保育所建築ではよくないと言われがちであった段差というものを、むしろ有効に活用する提案をさせていただくことが多くなった。
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