木育のこと
S保育園の増築工事で内装工事の時期に、5歳の在園児さんを対象に実演会を実施しました。現場監督・現場助手・大工棟梁のみなさんが、道具の説明等を行い、
床板貼りを実演してくれました。最後に質問会を実施しまして、「おうちはどうやって建てるんですか?」という園児の問いに、棟梁は「いろんなお仕事の職人さんが、みんなで力を合わせて建てるんやで」と答えられました。澱みなく自然にこんなに気の利いた答えができるということは、日常からそれを大切に思って仕事をしておられるはずで、素晴らしい棟梁に出会えたなと思いました。この実演会を通して、大人が真剣に仕事に取組む生の姿や、力を合わせて一つのものを作り上げることの大切さなどを、こどもたちが感じ取ってくれたものと思います。
「木育」意味ですが、一般的には「こどもの頃から、木材に接することにより、その良さを体感し、森林の大切さや木材に対する理解を深めてもらう」という程の意味と考えてよいかと思います。しかし、こどもたちは木や森のために生きているわけではないし、むしろ、木や森に育ててもらう立場なのです。そもそもそれらを供給する機能を破壊してしまったのは、こどもたちではなく我々大人の仕業なのです。この定義ですと、我々大人ができなかったこと、若しくはやってしまったことへのつけをこどもたちにまわしているような気がするのです。だから、言うとすれば、木育とは「木」を通してこどもたちの成長を支援するものと考えて、「木の良さも、そして悪さも体感し、生きることへの理解を深めてもらう」という表現にしていただいたらどうでしょう。少しオーバーな気もしますが、それだけの力を「木」は持っていると私は考えています。
ちょっと贔屓目に言うと、木材は多様性の理解にもつながるのではないかと考えています。例えば、皮むき丸太を柱に使えば、太さも木肌も節の数も割れの様子もすべて一様ではありません。丸太の柱をたくさん使ったN保育園の先生におたずねすると、どうやら、こどもたちには、それぞれにお気に入りの柱があるらしいのです。色の違いでしか変化を持たせられない人工素材と違って、個の存在自体で多様性を持ち得るのは、自然材料の最大の特徴だといえます。こどもたちは、何も言わずともそれを察知して、生活の一部として自然に多様性を理解していきます。
保育所保育指針には「保育所は、こどもが生涯にわたる人間形成にとって極めて重要な時期に、その生活時間の大半を過ごす場である」と示されています。自宅よりも長い時間生活する場ですから、やはり住まいと同等の設えが必要だと思います。
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