『設計者からみた子どもたちの豊かな空間づくり』第6回(12月号)より
私の仕事は、保育所建築の設計です。先日、東京サレジオ学園という児童養護施設を見学しました。「保護者のない児童、虐待されている児童その他環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護」(※1)するのが法律上の主たる目的です。
保育所と養護施設との決定的な違いは、そこで暮らす子どもたちが毎日保護者と顔を合わせるかどうかという点です。養護施設で暮らす子どもたちは18年間のほとんどを、場合によってはすべてを、保護者とは別居して暮らしています。
一方保育所は、当然のことながらそうではありません。そうではありませんが、1日13時間の保育が常態化し、朝は目も覚めやらぬうちから服を着せられ、時には食事もとらずに保育所に送り届けられ、夜は夕食を食べて風呂に入って寝るだけの毎日に、休日保育まで付いてきます。それは、第一義的責任があるはずの「保護者のニーズ」なのです。
ある保育所の所長は、「親から子育ての権利を奪うたらあかん」と、休日保育の実施を頑なに拒みます。平日に長時間保育に預けるのだから、休日はしっかりと親子の時間をとりなさいという趣旨です。ニーズと責任の狭間で保育所が抱える矛盾が浮かび上がってきます。
私も、娘を保育所に入れながら、他人の子どもが暮らすための保育所を設計するという愚かな父親ですが、昨今の3歳未満児保育の拡大や、市場原理の導入など、疑問を感じる部分が多くあります。急速に保育所の量の確保が進んでいますが、保育の質はそれに追従できていないからです。仮に、保育所が社会のニーズによる「必要悪」であって、この流れを変えられないとすれば、私たち大人は、自らのための「必要悪」をどのようにつくっていけばよいのかを、真剣に議論する必要があるでしょう。
全国社会福祉協議会が平成22年に出した「養育単位の小規模化プロジェクト・提言」の統計によれば、児童養護施設では20%超の施設が小舎制を採用しています。1900年代初頭に石井十次(※2)によって実践された小舎制が現代の児童養護施設に浸透しつつあるのに対し、保育所は今なお、片廊下型大舎制のくびきから抜け出せておらず、他の福祉施設に比べて遅れをとっていると言わざるを得ません。両者の設置目的は違いますが、養護や保育が18年という長きに渡るか、1日13時間が6年間断続的に繰り返されるかの違いこそあれ、暮らしの場という本質は同じでしょう。生活集団の規模や、適正な保育士の人数など、制度を含めた生活条件のさらなる向上が必要です。
一方で、保育室の面積の狭さは、子どもの生活の質を直接的に下げている原因の一つです。広ければよいというものではありませんが、保育の質を保つには、児童福祉施設最低基準以上の面積的なゆとりが必要だと思います。
これまで、最低基準に基づいてつくられてきた保育所は、大部屋に限界まで子どもたちを詰め込むというものが主流です。食寝分離はおろか、おまるによる用便と食事が同じ場所で行われることもしばしばです。遊戯室を最低基準面積に算入するという方法で、定員弾力化の名のもと、子どもたちをぎゅうぎゅうに詰め込んだ結果、保育室単体でみれば最低基準面積を割っている保育所などいくらでもあります。数字上は見えてきませんが、実態はあまりにも酷い状況です。
最低基準面積がなぜ狭いと言われるかは、布団・食事テール・椅子・ロッカー・絵本棚・おもちゃ棚・遊具・保育士机などを並べてみれば、建築や保育のプロでなくても、一目瞭然なのです。それを知ってか知らぬか、厚生労働省の「保育所保育指針」は、「保育室は、子どもにとって家庭的な親しみとくつろぎの場」であると高らかに謳い上げています。この隔たりは大きい。足の踏み場もない大部屋のどこが家庭的であり、子どもたち同士の衝突が多発する状況でどのようにくつろげばよいのでしょうか。
この指針の実現を目指すなら、私たちは大きな努力を払わねばなりません。その責任は行政にあり、経営者にあり、保育者にあり、保護者にあります。そして設計者の責任もまた大きいのです。そのくびきでもがいている設計者の一人としての私も、それを承知で子を預けている保護者の一人としての私もまた、同じです。
待機児童削減のために、多くの保育所が新たに誕生しています。同時に、戦後建てられた園舎の多くが耐用年限を迎え、建て替えの需要が増えています。この保育所建設ラッシュは、我々大人がこのくびきを脱し、子どもたちへの責任を果たすべく努力できる絶好にして最後のチャンスではないでしょうか。この機を逃せば、これまで脈々と続いてきたこの流れは、さらに50年の命を与えられ、急増したその絶対数によって、もはや動かすことができなくなるであろうことは想像に難くありません。
子育てに設計という職能で寄与できることは、大きな喜びです。しかし、設計者だけで成し得る仕事でないのは明らかです。今必要なことは、設計者の独善ではなく、保育に関わるすべての大人が足並みを揃え、この課題と真剣に向きあうことだと思うのです。
※1 児童福祉法第41条
※2 石井十次( 1865年~1914年) 日本で最初の孤児院と言われる岡山孤児院を創設。一時は1200名もの子どもたちを預かり、生涯を孤児救済に捧げた。小舎制と里親制度の導入、収容児の年齢発達区分にしたがった保護教育体制の整備など、児童福祉事業として画期的な試みを行った。「児童福祉の父」と呼ばれる。
子どもたちにとって最適の保育園をつくりたい
<教師志望から建築家の道へ>
「ちびっこ計画」。独立する際、建築士事務所としては少しかわった名前にした。保育所等、子どもを対象とした建築物を専門に設計する、という決意の表れだった。専門に特化するということは、それ以外の仕事は来なくなる、ということでもある。自らを追い込んだ。
佛教大では文学部史学科(現在の歴史学部)に在籍。子どものころから歴史が好きで、地理歴史科の先生を目指して大学の門をくぐった。転機は3年生の時に起こった阪神大震災だった。実家は兵庫県明石市で工務店を経営。父が建てた家の修復を手伝うべく、被災した街を奔走した。教職志望だったのが、建築へと気持ちが傾き始めた。大学卒業後、専門学校に入り建築を学んだ。
勉強を続けるうちに建築のなかでも学校の設計に興味が湧き、卒業後は文教系の強い設計事務所に。しかし、いざ入ってみると次々と任されるのは保育園だった。保育園というのは小さい子供が集う場所ならではの配慮が必要な施設である。最初に担当した園は大学付属の園だったこともあり、「指詰めはこう考える」「ロッカーはこう作る」など具体的な対策を学問的な裏づけとともに教わった。しかし、次に担当した保育園でその知識を生かそうとすると、園長から「違う」と。「よその保育を押し付けないでほしい」と言われた。その時、気づいた。「園舎の設計の正解は一つではない」。その深さを知ると、保育園の仕事にがぜん興味が出てきた。
<一人の大人として何ができるか>
全国の保育園を見て回った。建築士としては、モダンなデザインへの憧れはある。しかし、「いくらいいデザインでも、保育ができないと意味がない」。一方、安全だけを追求していては、「大人の都合でしかない」という思いも出てくる。数多くの園舎を見るうちに、「子どもたちにとって最適かどうか」が最優先だと思えるようになった。
2008年に独立してからも、その思いは変わらない。建て替えの依頼を受ければ、その保育園をまる1日観察し、分刻みに生活の記録をつける。さらには、模造紙に園の見取り図を描き、そこに保育士に気になっている箇所を書き込んでもらうワークショップを開く。そこから導き出される「子どもたちにとって最適」な保育園は、それぞれの園によってまったく違う。「園の数だけ答えは存在します。一つとして同じものはありません」
子どものサイズに合わせて天井を低くした部屋を作ったり、園庭が狭い時には建物の中まで庭にしたり。現場に寄り添って見えてきた課題を、ユニークな発想で解決する設計は評価を受け、すでに関西圏を中心に約30カ所の保育園に携った。
大塚さんには、自分が設計した保育園で、自らの設計が正しかったのか検証してみたいという思いがある。そのため、保育士資格の取得を目指して独学中で、すでに8科目中6科目を合格した。
現在、戦後のベビーブームに建てられた保育園が建て替えの時期にきている。「今、建築家が踏ん張って新しいスタイルを作っていかないと。一人の大人として、子どもたちに何が出来るかを考えています」
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